気持ちの良い空間

吉田五十八(よしだ いそや)という高名な建築家の著作に「饒舌抄」(1980 新建築社)という名著がありますが、この単行本に収められている「饒舌抄」は夏目漱石の夢十夜を下敷きにしたのかなと思うような構成で、短い、しかし鋭いエッセイで吉田さんの建築哲学が語られます。

夢十夜のほうは「こんな夢を見た。」というフレーズで始まる不思議な夢の話が語られます。一方の饒舌抄は「こんな話がある。」で始まり、吉田さんの実体験と思われる5つのストーリーで構成されていて、夢十夜に負けず劣らず読後の余韻をたっぷり残してくれる、味わい深い名文です。

その1番目の冒頭はこんな感じです

「こんな話がある。

 或る人がかういふことを、或る有名な建築家に尋ねた。

 『住宅建築の極致とはどんなものですか。』

 するとその人は、

 『新築のお祝ひによばれて行つて、特に目立つて誉めるところもないしと云つて又けなす処もない。そしてすぐに帰りたいと云つた気にもならなかつたので、つい良い気持ちになつてズルズルと長く居たといつたやうな住宅が、これが住宅建築の極致である。』

と答へた。」

ここでは、住宅建築のことについて語られていますが、これこそ建築の原型であり目指すべきあり方なのではないかと深く納得しました。そしてこの文章を読んだ時にある1つの建築のことを思いました。

それは、奈良の平城宮跡にいつの間にか建てられていた小さなあずまやです。

シンプルな切妻屋根のそれこそ特に目立つものではないのですが、深い庇とその下に置かれたベンチがとても気持ちの良い場所を作り出しています。子どもを連れて平城宮跡によく行くのですが、ここにはいつも誰かが座っていて、ひとしきり時間を過ごし、そして去っていきます。建築のことなど全く気にしていないかのようですが、でもそれは、それだけ強力に人を惹きつける「気持ちの良い場」を提供できていることの証だと思います。この前を通りかかるとなんとなく足が止まって吸い込まれるように屋根の下に入っていくという姿をよく見かけます。

この縁側のベンチに座って、心地よい風に吹かれたり、原っぱで遊んでいる人々の姿を眺めていると、それだけで満ち足りた気持ちになります。そしてこういう「つい良い気持ちになつてズルズルと長く居た」くなるような場を作ることこそが本来建築に求められている役割なのだろうと思います。その意味で建築は私たちの生を包み込んでくれる容器であって、決して人を不快にさせたり怯えさせたりするようなものではあってはならないということです。

 みなさんも是非、お気に入りの場所や気持ちいい場所を見つけた時は、そこがなぜ好きなのか、なぜ気持ちいいのかを考えてみてください。そうすることできっと毎日の生活が少し豊かになると思います。

そして、上記に引用したエッセイはは以下の文で締めくくられています。

  住宅は住む宅で、どこまでも見せる宅ではない。だから家人にとつて住みいい家であり、又来る客が長く居られて家人と親しめる家であって欲しい、日本人には日本特有の雰囲気がかもし出された家が本当にいい住宅であると思ふ。

その饒舌抄は装丁もとても素敵です。吉田五十八さん本人によるスケッチがカバーに使われており、とても親しみやすい雰囲気が醸し出されています。文庫版も絶版になっていてなかなか手に入れるのが困難なのがとても残念です。