奈良市写真美術館

 ずいぶん久しぶりの更新となってしまいました。奈良のモダン建築シリーズ 今回紹介するのは、

入江泰吉記念奈良市写真美術館 設計 黒川紀章 竣工 1991年

建物正面から見る 屋根の存在感が際立つ建物

 展示室は地下1階にあり、地上部分にはエントランスホールと受付(現在は使われていない)、カフェがあるのみで、非常に小さな建物に見える。しかもその地上部分は屋根を支える柱は外壁の内側に配され、荷重を負担しない外壁は全てガラス張りとなっており壁の存在は消されている。結果的に大きな瓦屋根がぽっかり宙に浮いているような、まさに谷崎の指摘した日本建築の特徴である、大きな屋根と軒下の暗闇の空間という構成を、コンクリートとガラスという新しい技術を使って作ったような佇まいとなっています。重厚な瓦屋根が軽やかに浮いているような不思議な感覚のする建物です。

 しかし上の写真、国宝級の寺院を見慣れている目の肥えた(?)奈良県民には、なんかおかしいと思われるのではないかと想像するのですがいかがでしょうか。下の写真を見ていただくとその違和感の正体は一目瞭然だと思いますが、美術館の後ろに写っているのは新薬師寺です。お寺の建物は軒先の端部が反りあがっているのが見えると思います。一方の美術館は軒先が水平になっています。これが違和感の正体です。

美術館越しに新薬師寺の建物を見る

 これは寺院建築や民家などの瓦屋根の建築物における軒先の美しさを決めるとても重要な日本デザインなのです。建築史家である伊藤ていじさんの「日本デザイン論」から説明をお借りすることにしましょう。

 私たちは伝統的な日本建築の軒先の線が、しばしば、ある曲線をなしていることを知っている。一見して直線をなしている場合でも、子細に検討してみると、いくらか曲線をなしている場合が多い。もし軒先の線が完全に直線であると、心理的な錯覚によって両端がさがってみえたり、軒線がだらしなくみえたりする。軒先の両端をいくらか反りあげるのは、おそらくこの錯覚を防ぐためのものであったと思われる。 伊藤ていじ「日本デザイン論」、鹿島出版会、1966

 そのようなことを黒川さんが知らないはずはないと思われるので、それでも敢えて軒先を直線にしたのだと思います。それは、単純明快で装飾を排することを目指したモダニズム的思想によるのかもしれません。でも、やはり伊藤ていじさんの指摘の通り軒線がだらしなく見えてしまいます。屋根の美しさでいうと圧倒的に新薬師寺のほうに軍配があがるといえるでしょう。

 下の写真はエントランスホールから中庭を見たものです。軒の高さが非常に低く(2.1mくらい)設計されていて非常に横長となったガラス部分を介して外部の景色が印象的にフレーミングされていて、住宅街の真ん中にあるという立地を意識させない工夫がされています。軒が深くあまり日光の差し込まない暗い屋内から見る明るい中庭は、奈良の古い寺院からの眺めによく似ておりとても美しい。ただ普通に天井を張ってしまうと公共建築としてはあまりに暗くなってしまうので、天井は凸型にカーブを描くように金属パネルが張られており水面に反射した光を屋内の奥まで導くようになっています。(下の写真2枚目)それでも写真ではかなり明るく写っていますが、実際はここまで明るくはないです。安心感のある暗さとでも言うのでしょうか、非常に落ち着いた奈良らしい空間になっていると思います。

エントランスホールから見る中庭
地下の展示室へと続く階段下から見たエントランスホール

 写真中に見える階段の手すりはデザインを誤ったと思います。手すりがぐにゃぐにゃしているので1段ごとにその高さが異なっており、非常に使い勝手が悪いです。デザインとは建築家の内藤廣さんの定義によれば、「モノと人をつなぐ行為」1)であって、その意味でいくと手すりというモノの役割が全く人に伝わっていないということになります。デザインとは形を恣意的にどうこうするものではないということが、反面教師的に良くわかる事例だと思います。

 次の写真は、地下1階の中庭に面した休憩スペースですが、この空間は非常に心地よいです。この写真を撮影したのは10月末の午後3時ころだったのですが、西に傾いた太陽光が建物奥まで差し込んで暖かい日だまりがとても親密な空間を作っていました。展示室を出たところにこのスペースがあって、展示の緊張感から解放されて気持ちを安らげるのにうってつけの空間となっています。中庭に向いている不思議なデザインの椅子の座り心地があまりよくないのが残念でした。エントランスホールにも同じ椅子が置いてあって、もしかして黒川さんのデザインなのでしょうか。作品鑑賞の後でほっと一息つきたい、というこの空間の意図を考えると、もう少しゆったり座れる椅子があると良かったなと思います。

展示後の休憩スペースとなっている空間 木漏れ日が心地よい
道路レベルから見た同休憩スペース 建物が地中に埋設されていることが分かる

 最後に、ここでも水切り(雨仕舞い)の大切さを痛感したのであまりこういうことは記事にしたくないのですが、自戒の意味も込めて記しておこうと思います。

 この建物は91年に竣工なので、竣工後30年ほどしか経過していないのですが、水切りが不適切なため軒裏や外部の壁面の劣化が著しいです。軒樋と軒天井が同一面となっていて水切りが全く存在していません。その結果、軒樋側面から軒裏に回り込んだ雨水によって腐食が進行しています。ここでも間違った意味でのデザイン行為が優先され、雨仕舞という建築の基本がおざなりにされてしまっています。こうなることは、建築の経験者であれば設計の段階で気づくはずなので、意図的に無視されたのでしょう。おそらく非常に多くの人たちの関与したビッグプロジェクトだったと思うのですが、配慮の足りない設計によって建築が台無しになっているのはとても残念です。

軒樋に水切りが設けられていないことによる軒裏の腐食
RC壁の笠木形状が不適切なため塗装内側に水が入り込み剥離している

     参考文献

      1) 内藤廣、「形態デザイン講義」、王国社、2013